チィさんという我が家のねこは私と夫にとって
とても大切な存在だ。
たいていのお家でたいていのねこがそうであるように(そうでなくてはならない)。
もうかなり前のこと、まだ大学生の頃、
インターネットでほんとうにたまたま見かけた
あるねこの写真がふわふわしていて妖艶で
なんだか気になってリンク先のブログを読むようになった。
そのねこのさまざまな写真と彼女を大切にする人のふたりの日常が
書かれていた、それはもう”ふたり”として完璧に完結しているようにみえた。
物語を読むように過去から現在を追っていくうちにふと、
「インターネットがなかったら、あるいはこのブログが始められてなかったら、こうして離れた場所の直接つながりのないふたりのようすを知ることもなかったんだな ありがたいな」と思い、
ほぼそのままの文面でブログにあったメッセージ欄でそれを送った。
だからなんだかちんぷんかんぷんなような唐突なメールだったと思うのだけど、
ブログの主である方は返信をくれて、それがお付き合いのきっかけになった。
つまりチィさんは私達を結びつけてくれたねこで、私は勝手に感謝している。
初めてチィさんに触れた時のことを思い出す。
ねこに触るのがほんとうに久し振りで、こわごわだった。
はじめから傍に来てくれて、こんなに嬉しいものか、と思った。
思ったよりも、毛はふんわりと柔らかく、体はぐんと小柄だった。
夜のようだと思った。
静かで、やわらかくて温かい。そして尖った爪と変化する綺麗な瞳がある。ねこは夜のようだった。
小さな頃から、ねこに対する畏怖の念のようなものを抱いていたのは、夜が暗くて少し怖いのと同じように ねこの考えていることがあまりわからないような気がしていたからだと思う。
一緒に暮らすようになり、すこし意思も読みとれるようになった。
私は、ごろごろいう喉の音と振動の心地よさを知らなかった。
私は、瞳孔の開き具合で猫相が変わる面白さを知らなかった。
脚や顔面に、すとん、とおでこや脇腹をぶつけてくる勢いや力具合を知らなかった。
そのどれもがとてもいとおしいということも。
チィさんの小さく、骨ばった背中。
子どもを産んだことがある、たるたるしたお腹。
クリーム色に(よく見ると縞々柄の)チョコレート色のハチワレと肘やお腹にある模様、尻尾。
「ァ」、「ニャ」という短い呼びかけ(「ニャーン」という声を聞いたことがない)。
いつもちょっと不機嫌そうにみえる顔。
いまは夫である彼が、いとおしげに抱き上げたりちょっと乱暴に遊んだり、やっぱりいとおしげに額の匂いを嗅いだりしているのをみるのも大好きだった。
私はあなたに仲良くしてもらえてほんとうに幸運だった。
チィさんという我が家のねこは私と夫にとって
とても大切な存在だ。
彼女は亡くなってしまったけれど、いつだって私たちの傍にいる。