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イタリアのおみやげ(と宗教について)

両親がイタリアへ旅行に行って帰ってきた。
おみやげに、子どもたちの服など可愛らしいものを届けてくれて、スタンプの好きな私ように格好いい飾り文字のスタンプも入っていてうれしかった。
メモノートの表紙や手製の栞に捺したらよさそう!
合唱をするためのツアーであんまりふらふらはできなかった〜(多分山とかにも行きたかったはず)ということだったけれど、時折一気に更新される母のインスタグラムの、教会や町並みの写真がとても素敵だった。
海外の教会は歴史の重みというか迫力があって暫く居ると怖いような気持ちにすらなってくるところが多い、のを思い出した。私が行ったところは限られているけれど。
宗教にかける人々の思いが積層されていて、それがみている自分を圧倒してくるという体験は”物”でも私はしたことがあって、それはイギリスの小さな博物館でみたイスラム教のコーランだったのだけれど、あまりにもあまりにも美しく、人にここまでさせるものとはなにか、と考え始めたとき、わたしは逆にそこでひとつの宗教に自分を置くことから離れた。
神様のような存在はあると思う。ただ人間の知覚や思考や表現力には残念ながら限界があるため、今のように色々な違いがあるだけだと私は思う。恐れ多くもめちゃくちゃ簡単にいわせてもらえるなら、そう。

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ところで両親の新婚旅行はスペインだったというのを小さな頃聞いたことがある、楽しかったのよーという話と、それがまだ自分が産まれる前の両親のことだというのがなんだか不思議で、印象に残っていた。
だからなのか、なんとなく親しみを覚えていて、ご飯もおいしそうだしガウディの建築も父の影響で好きだしダリ美術館も建築に一見の価値あり(検索していただくとわかるのですけど、塀にたまごがたくさん乗ってる)みたいなので、スペインはいつか行ってみたいと思っている国のひとつ。と、メモメモ。