幸いなことに、英語を学ぶことがあんまり苦ではない。
文法を完璧に理解している・単語を物凄い量覚えているとかではないのだけれど、
苦ではないのでこれまで積み上げてきたものを経てすこうし得意にはなれたと思う。
勉強するものというよりは、面白いもの・ことにたどり着くための道具としてとらえているところがあるかもしれない。
中学校で初めて英語を習った先生がとてもよい先生だったのが大きな影響を与えていると思う。
割りと多くの若い先生に特有の頼りなさみたいなものが一切無く、帰国子女タイプであかるい熱意のある先生だった。
初めての英語の授業に初めてのタイプの先生で戸惑う生徒たちをぐんぐん巻き込むような授業をした。
例えばある時は”subway”を説明するのに突然両手で長方形を作って、「ガタンゴトン…」と言いその長方形を「プシュン!」と言って真下にずらし”SUB,”と言う。電車はそのまま地下を走っていき、最後に先生は”…way.subway”と言う。まるで小さな子向けのようだが、だからこそインパクトがあってびっくりしながらもう二度とsubwayの意味は忘れないと思った。また、時折繰り返されたこのような身振り手振りの説明は、今思えば英単語に日本語の訳を付けて覚えるのではなく直にその意味を受け取る覚え方を自然と始めさせてくれたので大変よかったと思う。
つまり”red”と言われたとき”赤”という日本語ではなく赤い色が頭に広がるようにする。英語圏の子どもがするように、単語の意味する概念をそのまま受け取ればのちに文を読むときも意味を取る上では一段階省略するようなかたちになり要領が多少よいのだ。訳せよと言われればその時日本語にすればよい。
例えば、授業にCDプレイヤーを持ってきたかと思えばおもむろに配られたプリントにはブリトニー・スピアーズの曲の歌詞に彼女のかわいい写真の切り抜きが添えられている。そしてもちろん曲が流されつつ、プリント下半分に書かれた先生独自のおもしろい和訳を授業を受けながら穴埋めすると歌詞カードが完成する。こんなに楽しい授業があっただろうか!私はすっかり英語のことも、先生のことも大好きになってしまった。担任じゃないのが残念だと思っていた矢先に英語部(すごい名前)設立の話を持ちかけられて喜び勇んで立ち上げ部員になった。勉強部ではなかったのでたしか最後には受験の時期に消滅したけれど、放課後に集まって先生のサポートを受けながら授業より難しい歌詞の曲を和訳したり、海外の中学生と英語でチャットをしたり、小さい子に学んでもらうという設定で絵本を作ったりして、楽しく過ごした。
今も感覚で正しいか正しくないか選んでしまうので、これは第何文法ですかと訊かれても全然分からないので講師には向いていない。けれど小さな子に教えるとしたら、これは色んな人が使っているもので わかれば楽しいことがより増えるよ、ということが伝わるように、その部分はほんとうに尽力したいと思う。