作ることを自分でやってみる、というのは、それを作ることを生業としている人たちの大変さを知ることができる面もあるし、何より自分が楽しい経験をしたりスキルが上がったりした上に作ったものが残る(ことが多い)のがとてもよいと思う。
学校ではできないこと、特に何か作ったり、すごいものを見たりの体験を子にはなるべくいろいろさせてあげられるといいなと思っている。ひょんなところで役立ったり話が弾んだりというおまけもあるし!
(家の近くに科学館があるので、子が大きくなって興味があったらサイエンスクラブに入ったりだとかさせてみたい。実験会とか星の観察会、寧ろ私がいま行きたい。)
私自身は銀塩写真の撮影・現像の教室に通っていたことがあって、
それこそいま何の役に立つわけでもないのだけれど、現像の停止液に酢酸を使うので酸っぱい現像室の匂いだとか ゴムのついたトングで写真を挟むキュッという音だとか 現像の度合いを見極めるためにじーーーっと写真を見ていたことだとか 発表するとき・新しいフィルムを買う時の高揚感だとか それらの体験をまとめて思い出すと”何か作ること”への気持ちがシュッと引き締まるような感じがする。
人の写真をみるときの気持ちもだいぶ変わったし、プロになるまでではなくても それなりに一生懸命にやってみることで得られるものは多くて好ましいなということがわかった。
教室の人たちと行く日程が合わなかったので自主的に同じ浜辺(やや山奥)に一人で後日撮影に行ったら、迷って、携帯も通じないし小雨は降ってくるし心細かったけれど日の暮れる数時間前までは写真を撮ろうと決めて撮った写真群は今みてもものすごく不安そうだ。ぐじゃぐじゃのごみ、ほぐれかけた髪のようなロープ、タンクの亀裂、自分が撮ったものだからその時の気持ちを思い出すのは当然だが、それにしても状況や心境で選ぶモチーフもだいぶ変わるのだろうなと思う。それが体験できてよかった。
完全になくなりはしないだろうけれど ぐいぐいデジタルに押されてきてしまっている分野ではあるので、物が入手しづらかったりしてすべての人にお勧めはできないけれど、楽しかった。ただ、現像液の染みは服から落ちないのでそれは気をつけて。
いまやってみたいのは、和紙作りと盆栽、金継ぎ、刺繍、ダーニング。
金継ぎは友人に先を越されて(行動力のある素敵な子)、その彼女が継いだ陶器もとてもいい感じだった。いま子どもがいるから漆は危ないかしらん でも折角なら漆でやりたいなー。
ワックスを掘って銀細工もやってみたい。落語も気になる。
何度かやった革細工も おもしろかったので、大きなななめがけ鞄を作りたい。革はよい、設計して切って穴を開けて接着して縫う、とんかちは使うし針もいかついので、手芸よりも工作に近いような気持ちがする。作ったものは、長持ちするし。素材はハンズのセールで買います。おすすめします。
あとは文章にもうちょっと起承結つけられるようになりたい…(ここまでお読みくださりありがとうございました)。