Article

結婚するのに性別は関係あるのか

studio killersの “Jenny”という曲は、
目立つところの歌詞がこのようになっている。

I wanna ruin our friendship
We should be lovers instead
I don’t know how to say this
‘Cause you’re really my dearest friend

私たち、友達でいるのをやめよう
代わりに恋人どうしになろう
でもどうやって言ったらいいか分からないの
あなたはほんとに一番大事な友達だから
(意訳)

これは最近聴いた曲の中で
唯一泣きそうになってしまったもの。
といっても私に同じ経験があるわけではない
のだけれど、相手に自分の気持ちを伝えて
それが受け入れられるかどうか分からない、
現状を変えたいけれどうまくいくか分からない、
という不安や恐れが曲全体にあって、
上記歌詞の部分が
それを一番あらわしているからかも知れない。

(MVもよいです。わりと歌詞のとおりのMV。
でも後半の展開はびっくりです。)

それで思い出したのが先日夫とした、
「一緒に暮らす相手に性別は関係あるのか」
という内容の会話で、
結論からいうと、二人とも、結婚の法律はさておき
当事者達の側には関係ない、というのが私達の意見であった。

大好きで共に生涯を過ごしたい、いろいろな事を共有したい、その人間の中身が好きなのだから、性別は関係ない。
お互い、我が身のこととして考えてみたら、一緒に暮らそうと思った相手がこの度(この度!)異性であったので結婚をしたが、自分が男性どうし女性どうしで一緒に暮らすことに抵抗はない。
という話であった。

ただ悲しいことに、世間ではトランスジェンダーに話が及ぶと、
いまはまだ同性どうしだというだけで幾分か生きるのが困難になってしまうようだ。
子どもとジェンダーの話になったらそれも伝えておくべきかも知れない。
そう思った。もちろん、だからどうこうしろ、ということではないが。

そうしたら生きづらいのは同性どうしだけではなかったのだ。
恥ずかしながら知らなかっただけで、
トランスジェンダーは大変複雑なのだということをNHKの番組で知った。

心と身体の性に違和感があるか。
身体的社会的にどうありたいか。
自分が男性なのか女性なのかが「わからない」あるいは「ない」という人もいる。
“トランスジェンダー”という言葉の定義そのものも不断の変化を続けているそうだ。

心が男性で身体は女性で性的指向は男性、ということもあるそうだ。

偏見や差別をなくすにはまず知識が要る。
子どもたちにはなるべく柔軟に育ってほしい、
だから何に関しても自分も勉強しつづけて
知らぬ間に偏見を植え付けるようなことはしたくない、と思った。

jenny2