今三歳半の長男は骨折をしたことがある。
今年の3月17日、三歳児健診でのことだった。
メインの検診を終え、最後の栄養士のかたとの面談のため待つように言われ、子どもたち用のすこしふかふかしたコーナーとおむつ替え台のある広いスペースで子を歩かせていた。
私はおむつ台のあたりにいて、もちろん子を見ていた。ふかふかコーナーを仕切っている腰掛けくらいの高さの仕切りを足場にしてその台に登る子も多く、少し危ないなあと思ったのだけれどよその子へいちいち「あぶないよ」を声掛けして下ろしたりはさすがに余計というか、本人の親の責任ではないかと思って何も言わなかった。
でも、わからないけれど、今思えば下ろしてしまったらよかったのかもしれない。
なぜなら、びょーん!とおむつ台の上から飛び降りた子の下敷きに、息子がなってしまったから。息子はのんびりうろうろ歩いておりこちらへ近づくか近づかないかのタイミングで、そちらを見ていたのでまさかその子が突然大幅に飛び降りるとは思わず、どちらかを止めることができなかった。子は仰向きに倒れた。変な場所から突拍子もない動きをする子もいること、考えておかなければならなかった。これが後悔していることのひとつ。
降りてきた方の子も泣いていたしその子が駆けて行った先の外国人のお母さんはわりと遠くにいたので会釈してひとまず子の様子をみていたらその間にふたりともいなくなってしまった。医療費にかんしては名古屋市が負担してくれる制度のおかげで(そして外傷なのでお薬代もなく)無料で完治したけれど、ともかくこの件で、連絡先の交換をするべきときには素早く冷静にできるようにしなくてはと心にきざんだ。あちらの子は大丈夫だったのかも気になるし、事故、とはいえ、息子がどれだけ痛くて不便な思いをしたのか、全くあちらが知らないのは納得がいかないというか、怒り、無念さ、再発を防止してほしいという思いのやり場がないのだ。連絡先を交換しなかった、これが後悔していることのふたつめ。
子は、なかなか泣き止まなかった。右脚を動かしたり、歩くとさらに泣く。酷くひねったのかと思いおんぶで近く(幸い近くにあった)の病院へかかると、「残念ながら、折れていますね」とのことだった。ギプスへ至るまでのレントゲンが怖かったようでめちゃくちゃに泣いたが、固定するとすこし楽になったようだった。
(今のギプスはまず綿を巻き、薬剤を染み込ませてある包帯をその上からきつめに巻いてさらにそこへ水をなじませるとみるみるうちに硬化するのだった。すごい。)
その日彼は帰った途端に電池が切れたように眠ってしまった。
右脚膝下〜足の甲までギプスでかちこちの状態の日々が始まった。
初日は動かすと痛むようで、夜眠るときも寝相で動いてしまう度泣いていたけれど徐々にひいていったようで3日後にはおしり歩きを初めたので驚いた。じっとしているのに飽きたらしい。3週間後にはギプスがすこし小さくなり、リハビリに毎週通いつつ、一ヶ月後には外れた(これは大人の倍以上のスピードだとか。子どもはすごい)。本人は、ギプスで大きく覆われていたころのほうがロボットのようにして歩きやすそうだったが、いつも自分から移動を試みていて偉かった(弟がよちよち歩きで移動していたことも影響していたかも知れない)。そうそう、ギプスそのものについては、彼は(上の写真のポケットにも入っているし先日も書いたけれど)アイアンマンが好きなので「ロボットみたいね」とギプスを格好よく感じていたようだった。
親としては回復のため脚をすこし高くして寝かせることと、濡れないようギプス上下にラップを巻いてから大きなシャワーキャップのようなカバーをかぶせてのお風呂が大変だった、もう使わないと思っていたベビーバスに、はみだしているけど座らせて洗ったり、大人用風呂いすに座らせて脚は逆さにしたバケツに乗せて洗ったりした。まだ暑い季節ではなかったので、汗をかいて困るということはなくて助かった。
ギプスが取れてからしばらくは右脚を守るように変な歩き方をしていたが、それも見つけるたびになるべくなんでもないふうに注意するうちになくなった。念のためほぼ普通に歩けるようになってから、登園再開。4月の最終週だった。
いまでは階段もかけっこもおてのものなので、よかった。
二度とありませんように。
(保健所には安全のための張り紙の強化とおむつ台に子どもたちが簡単にのぼれないようにしていただきました。)